物 申 す プライベート編
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プライベート H13 9〜10月 さつまいも  最後の運動会 心筋梗塞  カテーテル検査入院
11〜12月 ピンときたドクター 新品の電子レンジ 炎のね ずみ小僧   ニトロペン 
H14 1月〜4月 長男・・・ わかってきた「心筋梗塞  フレッシュスタート    バレーボール 
6月 歯医者さん  やってきた新品の冷蔵庫  新品冷蔵庫つづき *****
H15 3月 永眠・・ ・
H16 4月 角澤アナ現る! 偉大な父  普通の父 
H17 2月〜 幸せな笑い  長谷寺 ボタン祭り  最後の試合  結婚記念日 
H18 3月〜 甲乙つけがたい2つの出来事  快気祝い  うんこ  クリ拾い 
H18 12月 エリック・クラプトン  テレビでしあわせ 
H19 5月 トムヤムクン 
H22 3月 かもねぎIHヒーター 
2001/9/21 (金
さつまいも
家内の誕生日、4?才、いつものことであるが、朝のうちは覚えててよし!わすれんとこ!
何か買いに行こうと思うのであるが、次に思い出すのは仕事が終わって帰ってきてからである。
ところが今年は運が良かった。  冷蔵庫の商談で酒屋さんに立ちより、寸法を測りに台所へ
そこにおいしそうなでかいサツマイモがおいてあった。それが目に入ったとたん、家内を思い出し
たのである。
    おいしそうな芋ですね〜  
    うちで作ったの、ひとつもってかえる?
    今日は家内の誕生日なので喜ぶかも・・・
    それなら、ちゃんとリボンつけて包装しなくちゃあね 
リボン付のサツマイモだ!!
見事な誕生日プレゼントの出来上がりである。
それだけではと思い、ついでに手作りのアートフラワーを買った。
最近は酒屋にこんなものまでおいてあるのである。ラッキーだった。
今年の誕生日は例年に無く盛り上がったのは言うまでも無い。
2001/9/30 (日)  
最後の運動会
以下は全国電気屋MLへの投稿です
すこし原文をアレンジしましたが、自分でもなかなか気に入ったので載せます。
はやくもこんなのでサボってしまっては先が思いやられますね・・・

これでもって最後の運動会となった。
初めての運動会は、一番上の子が保育園のとき、13年前でした。そのごろは何もかもが新鮮だった。 ちょうどそのごろ同じ保育園に、今をときめく近鉄バファローズの梨田さんのお子さんがおられ、梨田さんが保護者の代表で、始めの挨拶、父兄対抗のリレー、終わりの挨拶と大活躍であったのが印象に残っている。たいていこういった有名人は役員があたるものだ。

 その運動会のリレーのときなど、保育園の園庭など一周100メートルぐらいなところを大きな男がドタドタ走るものだから、そりゃーもう迫力満点、観客はみんなカーブでの転倒するのを楽しみにして見ているようなものだ。 さすがに梨田さんは、カーブでもバランスがよく転倒はされませんでした。 いっしょに走った人は、張り切りすぎて、次々に転倒していた。 それでも、光栄の限りだったことでしょう。 (私は見てただけです・・・)私の有名人との出会い?はこのときが最初で最後で唯一の自慢のねたです。

ところが、当事者の高1の娘にその話をもちかけてもまったく感心しめさずで、おおやけにするなら
ここしかないし、今がチャンスだ!、このチャンスは逃せない!!と思って書きました。

それから今日、一番下の子が現在小学校の6年生、おそらく運動会の見学、ビデオどりもこれでおしまいかと思うと少し寂しい気もする。朝から小雨が降り続いていて、いつ中止になるかひやひやの状態で進められた。 プログラムは大幅に変更され、とにかく練習してきた、ダンスとか徒競走が集中的に先行された。 ところが幸いに、10時スギぐらいになると雨も小康状態になり、先生や保護者あたりにも余裕の表情にかわり運動会らしくなってきた。カンカン照りよりもかえって楽だったかもしれない。

さて、運動会の観戦に欠かせないのが、ビデオカメラ、私の5年前の8ミリビデオカメラには、まだ「特価」のシールが貼られている。そう、店頭品なのだ。 もう売れないのでこんなときに持ち出ししてるが、かつて一度、会場で出会ったお客さんに特価シールをみられて、「ここでも売ってるのか」と指摘され大恥かいたことがある。

それ以来、運動会の必需品がひとつふえた。 それは、帽子である。 前につばのあるものであれば何でも良い。とにかく、運動会は、ピアノの発表会などと違い、ひっきりなしに人が行き交っている。 しかも、すれ違う人が知り合いの可能性が高いので、みんな必ずちらっと目を合わせてすれ違う。 知り合いだとにこっと笑う。挨拶もする。長引く。こちらとしては、せっかくの休みの日に、息子の運動会を見に来ているのに、仕事の緊張感まで持ち込みたくない。いちいちお客さんに挨拶してたらたまったものではない。

そんなわけで、帽子が必需品なのです。 帽子をとことんまで深くかぶりうつむき加減で相手の視線攻撃ををシャタアウトしてしまいます。 本当は、濃い目のサングラスでもかければ、万全なのですがさすがにそこまですると、私がシャッタアウトされされそうです。

この、6年生の息子、実は自閉症なのですが、がんばりました。 小学校最後の演技は定番の組体操ですいつもへらへらわらってて、次になにをすればいいのか自分では理解できないのですが、しっかりした友達?がついていてくれて、無難に演技をこなしてました。 見ている親としては、ヒヤヒヤ、どきどきものです。 その次の100m走も、先頭からは50mぐらいはなされましたがちゃんとレーンの中を最後まで走りました
しかも、常道行動である”手のパチパチ、ひらひら、へらへら笑い”は途中でやらなかったのは立派です。

そして、お昼ご飯、なんとこの10何年間ではじめて、親と子が外にシートを広げて弁当を食べたのでした。これまでは、子供は教室に帰り、親は家に帰ってましたのでこれは画期的なことでした。 親子のきずなを深めようと今年から実施され始めたのですが、息子も、大好きな、肉はあるわ、おやつはあるわ、ほめられるわで大満足な様子でした。
また私の幼少のごろの郷愁がひとつよみがえってまいりました。

この、問題児 自閉症の我が息子については、私ホームページのほうでことあるごとにすこしずつ触れていく予定です。
以上旬の話題にてお許しください。もうしませんので・・・
2001/10/3 (水)
心筋梗塞
この7月、私の入院中に電話で励ましをいただいて以来の出会いとなったH氏、そのときの電話で、「心筋梗塞なら任せといて」と心強い言葉をいただいていたので、非常に楽しみであったのだが期待していた通りの話の内容であった。

 H氏が初めて、心筋梗塞で倒れられたのはもう10年ぐらい前のことらしい車を運転して、駐車場に止めて少し車の中にいたときに急に胸から後頭部に電流が走り、そのままハンドルに前のめりになったまま意識を失ったらしい。 痛いとかかゆいとか言う暇も無くそれこそがつんと一発やられておしまいのコースだったらしい。
そこで、運が良かったのは、なかなか車から降りてこないので知り合いが見に来てくれて助かったとのこと、そうでなければその場でアウトだったらしい。
その次に、運が良かったのは、普通、急病で担ぎ込まれても、病院のほうに、その専門医がいるとは限らない、いたとしてもすぐ治療できる体制にあるかどうかもわからないものだ。
H氏の場合、もしほんの数10分でも遅れたら助からなかったかもしれないが、そのときは、すぐさまカテーテル治療がおこなわれ、一命を取りとめられた。
 その後のH氏は、必ずしも順調とまではいかず、1年後、2年後に一回目と同じような状態で再発されたそうだ。そのつど、カテーテル治療が行われた。 何回も経験されてるので、どこでどんな風に再発したのかさえ忘れてしまったぐらいだともおっしゃられてました。
 文字通り、心臓に爆弾抱えた状態で生きてこられたのだが、3年目ぐらいには、やっとバイパス手術され現在に至っておられる。現在は非常に落ち着いておられ元気だ。 そのかわり、塩分や脂ものなどは控えられ、寒さなどに注意されとことん節制されている。写真がお好きなので、厳寒の雪国などへも出て行かれ写真をとっておられる。

 お話を聞いていて、とくに印象に残ったのは薬のこと。特に「ニトロ」、なぜ舌下錠なのか?
これは、飲み薬と違って、肝臓をパスして、直接舌の血管から吸収され心臓に働くので、効き目が速いということ。
バイパス手術は、足の付け根の静脈を30cmぐらい切り取って利用するが,その血管は、遊んでいる血管?なので、とくに切り取っても大丈夫なこと、心臓にもそんな血管があってそれも利用できること。
 バイパス手術のときは、一旦心臓は止めて血管つなぐらしい
いままで、心臓が大暴れしているのにどうやって細い血管をつなぎ合わせるのか不思議だったけどやっとなぞが解けた。一旦止めといて、身体への血液は人工心臓で絶えず送り続け手術完成後、例の何ボルトかの電気ショックによって心臓に息吹を吹き込むらしい。このシーンは、幾度となく映画で見ている。というよりサスペンスにはつき物のシーンだ。

 こんなこと、だれが考えたのか・・・想像を絶する。
そして、H氏の場合、何回も心筋梗塞を起こしてるうちに、冠動脈の道筋も変化が起きてきて先のほうで“くにゃ〜”と曲がってきたりして、カテーテルが入らなくなってくること。かと思えば、壊死した心筋の詰まった血管とは反対側から新たな血管が生まれてきて、新しく道筋が通ったりすること。

人間の生命力もすごいが、医学の進歩も信じられないほどすごい!! 2〜3年で技術も数段に進歩してる。
「君もいつ再発するかもしれない。備えだけはきっちりしておくように」などと散々脅かされたが、大先輩の忠告、真剣に受け止めておこうと思う。
2001/11/11 (日)
カテーテル検査入院
退院後3ヶ月、その後の経過を検査するための入院をしてきました。
検査するためになぜわざわざ入院までしなければならないのか、たいそうなことだが、壊れかけていた場所が場所だけに致し方ない。7日のつもりが5日延びて12日間のに入院となってしまった。原因は、前回治療した2箇所のうち1箇所がまた詰まりかけているということ。 それで、前回はふくらませただけだったのであるが、今回は、やり方を一歩すすめて血管にへばりついているコレステロールの”かたまり”をドリルで削り取るといった誰が聞いてもうなずける(?)ような簡単明瞭な(?)治療方法をするということになった。
8月に退院して以降、お客さんに会うたびに自分の病気をネタに訪問してきたのでもう何十人もの経験者から知識を得てきておりそんなに驚きもなかったが、やはり、再発してるとなるとこれから先のこともあって多少はショックであった。

「カテーテル」という治療で、血管のなかに細い管を心臓まで通して、心臓をモニターで見ながら血管にへばりついているゴミを削り取ってもらうのだが、いくら”超小型のドリル”だとはいってもそう簡単には入っていくものではない。ドリルだけではなくホルソーも突っ込まなければならない。前回は腕からやったけど、今回のカテーテルは足のまたの付け根の動脈が太いので、ここからの治療となった。

 ここで、当HPにお越しいただいてる、ほとんどの方は未経験者であるし、文面を読んだだけでは、何のことかまったくわからず、いたずらに恐怖心をあおっていて、経験者だけが、優越感に浸ってると思われても困るので、簡単ですが以下のことだけ付け加えておきます。
1)動脈の中に管を入れて心臓まで通すこと・・・痛くも痒くもなく自覚症状はまったくありません
2)ドリルでカスを削り取る・・・これも同様になんともありません。削ったカスは体外へ持って帰ります
  ただ、グウィーンと言う音が2〜30回聞こえましたので少々不気味でした。
3)つらいのは、経験された方はご存知かと思いますが、衛生のため、おしっこができず 尿道に菅を通して垂れ流しにすること、それと一晩中寝返りができないことで、一睡もできなく、しかも腰に激痛がはしり非常につらいことでした。

治療にかかった時間は約2時間、あとの時間は死ぬほど退屈な日々でしたが・・・

・歩く姿、動作がきびきびしていて気持ちの良い人
・いつも大きな声で名前を呼ばれ、いつもドキッとさせられる人
・貫禄があって、肝っ玉母ちゃん風の安心を与えてくれる人
・素朴で見るからに純真な心の持ち主の人
・心配かして何度も同じことを念を押してくれる人
・長身で健康そのもの、こちらまで健康に成れそうな人
・髪型がいつもビシッと決まってる人
・夜も寝ないで、垂れ流しのおしっこを処理してくれた人
・コウベを垂れる貧相なものにも愛想よくしてくれた人
そして、年甲斐もなく、私の心を揺るがした方も2〜3人おられました。

ともあれ、優秀なスタッフとすばらしい看護婦さん2〜30人に囲まれて
無事治療を終える事ができましたことに心から感謝しております。
また3ヵ月後にお会いしましょう。   あ・り・が・と・う

PS
退院時、文句言いの私は、しっかりと当HPの宣伝させていただきました。     大阪府立羽曳野病院
もし、訪問してくださったなら、掲示板に足跡を残してやってください。
うれしくて、またまくらを涙で濡らすことになりそうですが・・・
2001/11/19 (月)
ピーンときたドクター
今回、検査だけで済むはずが、再狭窄(サイキョウサク 一旦バルーンによって広げたところが再度閉塞してくること)が見つかって再治療しました。 と言うところまで報告したわけですが、「B5看護婦」さんの書き込みにさらに詳しく報告しなければ、申し訳がなく、今回はもっと気を引き締めて、掘り下げた真実に迫る迫力で告白したいと思います。

ちょうど今日で再治療=退院して一週間になります。ここ2ヶ月ぐらい前から、毎朝30分ぐらいかけて散歩しております。
毎日同じコースで、運動が目的なのはもちろんなのですが、もうひとつの大事な目的は、ちゃんと学校にたどり着いているか6年生の自閉症の息子の靴を見に行くのが目的なのです。家内に”付き添われ”て、かなりはや足で歩いております。
私が住んでいる、このあたりは住宅と田んぼや畑が混在してまして、小学校までの通学コースは田んぼが広がるのどかな雰囲気で、帰りのコースはまた川沿いと、けっこう自然に恵まれております。          

先月10月の中旬などは、あたり一面稲刈りのあとで、なんともいえない「はで足」の風情で、たくましく育って刈り取られたあとに発する独特の稲の香りに包まれて足取りも軽やかでした。  その昔子供のごろは、田植えから稲刈り、そして体中痒くなる脱穀と、もみがらを燃やして焼き芋を作る・・・これがすごく楽しかったのを思い出しました。

・・・と、そんなことより、問題は、30分歩いた後で必ず、心臓がどきどき息切れも少々、前回8月の退院後はずっとこんな調子が続いていたのです。 まあ運動不足なのでこんなものかな〜と、ずっと思っていたのですが、ところが、今日の久しぶりの散歩では、これまでの症状はまったく出なかったのです。心臓も落ち着いてましたし、息切れもありませんでした。 
このことは、今回、再狭窄の治療した直後からうすうす感じられていたことでしたので別段とくに大きなおどろきはなかったのですが、再確認できたことで、ああ〜やっぱりそうだったのか!!と安心したのです。

今回の入院で、再狭窄があって不幸だったのではなく、その逆に、自分の体がこんな状態のときは、こんなになっている、といった自覚できるようになったことで幸せになったと言うことなのです。再狭窄はカテーテルによって初めて発見されたのではなく、それまでに自分で発見していた!!という新事実も浮かび上がってきた。もちろんカテーテル検査というものがあって初めて立証されたのですが、前回3ヶ月まえに退院した直後から感じていた、ドキドキッとした感覚が今回の治療後はなくなっている、前回は、こんなものだと思っていた感覚が、今回は病気になる前の感覚まで戻っている。そういった、一連の自分の体がわかるようになったということが一番大きな収穫なのです

実を言えば、今回の再検査入院は、あやうく来年まで延ばされるところだったのです。もし延ばされていたら、おそらく、急に発作が起きて私の命もあやういところだったような気がします

去る10月18日、血液検査とドクターの問診で、「まあ大丈夫でしょう」と言われた一言に安心して、薬の話や今度の外来の予定などの話も終わって、さあ帰ろうとしたときに私が言った「でもちょっとドキドキすることがあるのですが・・・」にピクっと反応されたドクター、「では早めに検査しておきましょうか」と間一髪の切り替えによって今回の検査入院となったのです。
ここで私が何も言わなかったら・・・、ドクターの”すばやい感”がはたらかなかったら・・・そう思うとつくづく自分の体は自分自信でしっかり抑えて自分で管理することが大事だ。どんな理屈より”感の鋭いドクター”にめぐり合わなければ、と思ったのです。
この病気とも気長に付き合っていくつもりで、一つ一つ新たな発見を大事にしてゆきたいと思います。

今回の「もの申す」は少々緊張しております。お察しくださいませ・・・
2001/11/28 (水)
新品の電子レンジ  
 今日我が家に新型のオーブン電子レンジがやってきました。
 実は、いままで使っていたシャープの下取り品、「電源は入ってちゃんと回ってるのだがぬくもらない」といった故障になってからもう一ヶ月になる。こういった故障になるともう寿命だ。  マグネトロンというやつがいかれてしまっている。初期のごろのレンジは丈夫だったが、このごろのモーターしかり心臓部が早くやられてしまう。

 普通はどこのお宅でも電子レンジは必需品で、とくに小さい子供さんがいたり、毎日お弁当作ったりされてるとこなんかは1日でもなければ非常に困ってしまう。だから、故障してすぐ新しいの持ってきてと言われることもしょっちゅうあります。

 その点、うちの家内は状況の変化に強いというか、我慢強いというか、レンジが壊れても一向に不平不満言わない。それなりに応用きかせてやっている。そういったところはいつも感心させられる。

 うちの電子レンジももうこれで何台目か数え切れないぐらいだ。ざっと覚えてるだけでも5〜6台ある。
さすが!電気屋さん!!といったような掛け声も聞こえてきそうですが、下取り品ばかりなので壊れる周期もめちゃくちゃ早いのです。  今回も、もう少し待っていれば、適当な下取り品も出たかもしれないが、もう辛抱できなくなってきた

だれが?・・・ぼくが・・・なんで?・・・自分のお昼の給食弁当があまりにも冷たくて、それでなくても下痢気味のおなかがストライキを起こしあばれまわってしまうからなのです。  弁当箱はプラスチックで、ストーブにはかけれないし、どう考えても温める手段がない。  それで、思い切って買ってしまったのだ。

やはり、なんでも新品はいいな〜
でも、電気屋さんは、なかなか新品はおろさないのが普通です
2001/12/11 (火)
炎のね ずみ小僧
注文していたFAXや掃除機に混じってキムチと書いたダンボール箱に入ったペリカン便が届いた。
はて?これは注文してないぞな?
持ってみると、箱の大きさのわりにずっしりと重たい
広島の田舎生まれで、百姓育ちの私にはすぐさま中身がピーンときた。
「おーい こんなもんきたぞー」
これはまず家内に見せてやらなければとさっそく奥に持って入り家内の目の前で開けてみる。
「おおおおおーっと  こっこれは!!」
荷物を真ん中に向かい合って座り込んでしばらく動けなかった。
「これ何キロある?」「なんぼぐらいする?・・・」
どのようにお礼するか、どんなお礼の言葉が適当かしばらくの間、お互い黙ったまま考え込んでしまった。

しばらくたって、突いて出た言葉が、「これは、このところの不況で食うや食わずの生活と、病気をおして
頑張ってる姿に情けをもった”現代版ねずみ小僧”の贈り物に違いないね。 ありがたく頂いておこうよ・・・」と家内の弁
「そうか、そうするか。」でもこころが痛む。あまり気にしていて、また心臓に
負担がかかっても良くないので、気持ちだけ”快気祝い”にしてお返ししておこう・・・ということで、今日の「物申す」でした。
2001/12/16 (日)
ニトロペン
先日の話、朝の散歩から帰って、いつものようにパソコンのメールチェックの体制に入ると、なんとなく胸やけみたいな症状がじわーっと押し寄せてきた。背中のほうも押さえつけられてるみたい。  こっこれはやばい!!痛みがだんだんひどくなるかもしれない。
 去る、4ヶ月前の7月8日折りしも売り出しの終わったちょうどその日と条件全く同じ・・・・不安が頭をよぎる。 とりあえず、2階に上がり安静にしておこう。 その後、10〜20分してもひどくもならないが、一向におさまりもしない。相変わらず胸のほうがつかえたみたいだ。

2〜3日前から風邪気味なので、ひょっとすると単にそのせいかもしれないし取り越し苦労に過ぎないかもしれないが、ここは常備している「ニトロペン」を試してみるチャンスだな。 もしもこれで痛みが治まれば、かぜでなく心臓の発作に間違いないことになる。 逆におさまらなくても、やはり心筋梗塞の可能性もあり、いづれにしても不安は拭い去れないが飲んでみることにした。

 さて、おもむろに財布の中から取り出した「ニトロペン」、1cm角のアルミの封を切ると、そこには通常白い固形の錠剤があるはずなのだが、なんと粉々になった白い粉末に変わってるではないか!! 財布はいつもズボンの後ろポケットに入れてるので押しつぶされてしまったのだ。  まあ腐ったわけではないので効き目に変わりなかろう。

舌の下で溶かすのだが、粉々になってるので、うまく舌の下に入らない。 それでも、飲み込むと効き目がないので、口の中で吸収されるまでじっと含んでいることにした。
狭心症の発作の場合、薬をのんでから5〜10分ですーっと効いて来るらしい。

やはり、5分ぐらいしたら痛みも治まってきた。単なるかぜでなく、やはり心臓の発作だったのかな〜
夕食後、そのことを家族の前で話すると険悪なムードになってしまった。
「いまごろ言っても遅い。そのときすぐ知らせないと・・・」と言うことであった。
あまり騒ぎ立てるのも、大げさに取られるし、”ころあい”というのも難しいもんだ。
今度は、遠慮せずに、思い切って「救急車を呼べ〜」っと叫んでやろう。 
 そのときはB5の看護婦さんもどうかよろしくお願いします!
2002/01/23 (水) 
長男・・・
早いもので、もう一月も終わりに近づいている。
 「静音化」ページに夢中で、すっかりご無沙汰してしまった。 またこれから遅れを少しでも取り戻さなければ、”師匠へのコメント”が暴言になってしまう。

今年になって始めての「物申す」なので、やはり”おめでたい”話などでさらっと流しておこう。
中二の長男、現在バレーボールなんぞに夢中である。 キャプテンを勤めさせていただいてるらしく、ストレスもたまるのであろうか ときどき、奇声をあげるのでこちらがたじろいでしまう。 
身長の方は、親が両方ともチビなので、そんなに背は高くないのですが、けっこう運動神経はいいように思える。 ジャンプ力も、3歳ごろよくぴょンぴょン跳ねてたのが、このごろになって成果が出てきたのかよく跳ねる。

去年の年末、2〜3ヶ月ぐらい並んで歩くこともなかったので気づかなかったのだが、家族で外食に久々に行ったとき、横に並ぶといつのまにか息子に見下ろされるところまできているではないか。  同じぐらいの背丈なのだが、頭を坊主にしているのですごく威圧感がある。 口には出さなかったが、もうそろそろ力ずくは通用しないかなと思った。

・・・・で、この正月、親戚じゅう集まっているその前で、どういった成り行きか腕相撲することになった。
まさか、まだ負けることはないだろう、とたかをくくってたのだが、このところの運動不足や、大物商品の納品もめっきり少なくなっていて力もあまり出していないことから、ころっと負けてしまったのだ。

気のせいか、一瞬静寂が漂いました。 見ていた周りのみんなはどう思ったら知らないが、私は、負けたか〜っと思ったと同時に、その後の酒がこの上なく美酒に感じられたのでした。

このときの、息子の「あれっ??」っとした表情、続いて「どしたん?」とバツ悪そうに発した言葉、たぶん息子も「そんなはず無いのに・・・わざと負けたのかな」と思ったのか、「お父さんより、強くなった」と思ったのか、「お父さん、弱くなった」と思ったのかその辺は定かではありませんが・・・・
 ひょっとすると、息子が三歳のごろ、時々わざと負けて喜ばしてやってたのを今になって再び思い出したのかも知れません。
今回の息子の、子供のごろには見られなかった表情はずっと忘れないでしょう。
2002/03/17 (日)
徐々にわかりかけてきた「心筋梗塞」
これで2回目の検査入院となりました。
今回の検査で、前回(4ヶ月前)同様にまた再狭窄が発見されたということで、再治療が必要、入院の延長が決まったわけですが、どうしても約束した仕事が残ってて、とりあえず5日間で帰へらせてもらいました。
ドクターの説明によると、「また若干細くなってるので広げる治療が必要だ」といった説明でそれ以上の、”なぜ細くなったのか?””どうすれば今後細くならないのか?”といったこちらにとって一番肝心な知りたいことに関してははっきりとした返答はありません。
いつも「う〜ん、どうしてって言われても・・・」とお茶を濁されてしまうのですが、こちらのほうとしましても、色々と考えてるうちに、はは〜、これは誰でも時々できるデキモノやハレモノと同じものではないかといった推測に達しました。
お尻や顔にできる腫れ物、これが血管の壁の内側にできてしまったと同じようなことではないか、それによってそこの部分が狭まったと考えられるのです。
それなら、説明つきます。腫れ物なんて誰でもどこでもできますし、はっきりした原因なんてわからんもんな。
その腫れ物がたまたま血管の内側にできてしまったということなのではないかと思うのです。 こんなもん、気づくか気づかないかだけで誰でも持ってるんじゃないかと自分のことはよそに、余計な心配したりしております。

 私の場合、現在、2箇所狭くなってるうち1箇所は、ステントといわれる金属の筒状の網が挿入されておりまして、そこのところは正常であります。 今回、狭まってるところは、前回血管の壁を削り取ったところがまた腫れてきたということなのですが、どう考えても、これから先、何回この腫れ物を削り取ってもまた腫れてくるのは当たり前ではないか・・・?そんな不安さえ抱いてしまうのです。
・・・っとまあそんな不安もあることですがくよくよしてても始まりませんので、今回はある日のお昼ご飯の報告です。

なんと言っても入院生活での一番の楽しみは食事の時間です。
朝は8:00 昼は11:30 夜は6:00きっちり決まっております。
3月16日のお昼ご飯です。
メインの魚は、上等なあっさりとした白身、身が引き締まっていて新鮮さがうかがえる。添え物のにんじんは、バターでいためてあり甘みのある上品な味付け。 サラダはノンオイルの青ジソドレッシングでさっぱりといただきます。 おからのほうはといえば、これまたジューシーでパサパサしてなく、しいたけの香りがすばらしい”おすまし”とぴったりマッチしてました。
主食のご飯ですが、大量に炊いているにもかかわらずいつもいつもふっくらとホクホクに出来上がっております。

本当のところは毎日こんなに豪華ではないのですが、この日はどういうわけか今までの中でも屈指のメニューでした。
ひょっとすると、この日のメニューが某電気屋に取材される・・・どこかの有名なホームページに掲載されるといった極秘情報が給食屋さんにもれてしまったのかもしれませんな・・・情報社会は、あな、おそろしや・・・ははは
ただひとつだけ申すなら、食器はすべてベークライトなんですよね。 まっ、これは仕方ありませんね。

今回の入院で悔やまれるのは、お世話になったB5の看護婦さん、手前の内気な性格が災いしましてはっきりとお礼を言えなかったことです。 もっと大きな声で言わなければいけませんね「ありがとうございました!!」・・・特に○○さん???
こんなとこで言っても仕方ないのよね・・・ドカ汗 心で思ってるので許してね・・・
2002/04/02 (火)
フレッシュスタート
またまた、心筋梗塞で入院の話題です。
 前回の検査でまた血管が細くなってるということで、今回はそこの部分にステントと言われる部品を挿入する治療をしていただきました。 何でも直径3mm長さ1.8cmの筒状のアミみたいなものです。
 以前、せっかく自分の体の一部となるものだし、これからも仲良くしていかなければいけないので、どんなものか現物を見せてほしいと頼んだことがあるのですが、「数十万円するので現物はない」といわれ、あひゃ〜っとびっくりしたものです。
 さてこれで、数十万円するものが2つも心臓に取り付けられたことになります。
行く末で骨を拾ってもらうようになったときは、忘れずにこれも拾ってもらいたいもんですなぁ・・・・・てなこと申したりしますと、また、かあちゃんの機嫌を損ねますので希望もって明るくいきたいと思います。

 何もかもフレッシュな時期です。病院の回りも桜が満開の時期でしたのでデジカメをもって、一人で散歩などしてまいりました。
フレッシュといえば、入院中ちょうど明日で5年間勤めたこの病院を去って行かれ、新天地で新しく再スタートされるという若い看護婦さんにお世話いただきました。
なんでも、別の病院でやっと自分のしたいことにめぐり合えたらしく希望に満ち溢れており、すごくこちらまですがすがしく感じられ、「俺にもこんな時期があったんだな〜」っとうらやましくもありました。

 でも・・・まてよ
実は、この看護婦さんに”梯毛”(毛剃り)していただいたのですが、5年間勤められた栄えある最後の仕事が俺の”梯毛”なんぞで、いいのであろうか!? もし、新天地の病院で、「最後のお仕事は?」なんて聞かれたりしたら・・・???っと心配性の私としては、もっと自慢のできそうな仕事のほうがよかったのでは・・・?などと恐縮しております。
いずれにしましても、これはめったとないチャンスでしたので、最後の記念といたしましてバッチリ記念写真撮らせていただきました。
あっ!”梯毛”の写真なんかではありませんよ、ちゃんとしたツーショットの記念写真ですよ。
住所も電話も知りません。ただこのホームページのアドレスだけお伝えしました。記念写真は、メールくだされば返信メールで送りますよと申し上げたのですが、果たしてこの「物申す」見ていただけるかどうか・・・ドキドキものです。

いえいえ、ここだけの話ですよ・・・かあちゃんの機嫌損ねますので・・・
2002/05/05 (日)
バレーボール
 5月になったばかりだというのに気温は27℃超えた熱気むんむんの体育館で長男(中三)のバレーボールの練習試合があった。
現地は奈良県の少々山の中の学校で、朝早くからおきて片道1時間30分かけて子供たちの送り迎えした。 キャプテンの親だということでこういった役目が廻ってくるのですが、息子の活躍を見れる機会ですのでまんざらでもない気もいたします。
 遠くは三重県、和歌山県からも泊り込みで参加していた。 どのチームもそれは熱心で強豪チームです。
 10チームぐらいはあったであろうか、コートは2つ、1セットずつ戦っていく。 練習試合といえどもやはり真剣そのもので全体にピリッとした緊張感が漂っている。 おそらくおたがいに初対面でどんな相手なのかわからないとこがそうさせているのであろう。

中学生ともなるともう半分は大人だ。 チームプレーなどもお互いに支えあい見ていてもすがすがしい。
各学校で掛け声もさまざまだし、その特徴が一番良く現れるのは点を取ったときと失ったときのリアクションです。一斉に同じ掛け声で同じ動作をするチーム、ばらばらだが派手な喜びを表現するところもあれば、極力抑えてるところもあった。
見ているほうとしては、やはり派手で整然としているほうが気持ちがいいが、点を取ったときよりもとられたときのほうがそのチームの本当の姿が現れるようで、強いところは、そんなにしょげた態度を出さないような気がするのは気のせいでもあるまい。

 さて、試合もそうだが、何よりもうれしいのは子供たちの態度である。見学に来ている父兄にたいして一応に礼儀が良い。
”いらっしゃいませ”とまでは言わないが、ちゃんといすを回してくれたり、ボールをとってやると大きな声でお礼を言う。
大人の目の前を横切るときは腰を90度かがめて小走りに走り、決してこちらの視線をさえぎらない。中にはそのつど「失礼します」と声をかける子もいる。よく鍛えられてると思う。

 試合が終わるとチームの代表が相手チームの監督にお礼に挨拶に廻るのであるが、今日なんか、10チームもあるもんだから、ボソーっと立ってたら、私をどこかのチームの監督と間違えて挨拶にやってきた。「お願いします!!」っと3人頭を下げて来たので面食らったが、”ただのおっちゃんだ”というのも気まずくなりそうなので「ようがんばった。これからもがんばってや」とありきたりのコメントを言うと。 また「ありがとうございました!!」と走り去っていった。
腹の出たチビのおっさんなのでとても監督にはみえなっかたであろうに・・・

うちの息子のチームの成績は5分5分ぐらいの勝敗だったけど、親の欲目ですが、実力からすれば7対3ぐらいの成績は残せそうでした。 いくら練習試合でも、バンバン勝ってくれたらうれしいもんです。 
今日は、自分の中学時代を少しばかり思い出してすがすがしい気分になりました。
2002/06/23 (日)
歯医者さん
10年来通ってる歯医者さんのことです。
以前から、待合室には「ご意見、ご希望がありましたらご遠慮なくお申し付けください」と大きく張り出されていていつでも相談できそうな雰囲気なのですが、いざとなるとどうも切り出しにくいものです。
ここの先生はまだまだ若く意欲的で、いつも何か新しいものに挑戦されてる。
先日「新しく電子メールでのご意見の受付も始めました。」とメールアドレスが張り出されていた。
いつも歯の治療に行っても、
 ・いつも頭の上に先生がいるので、面と向かい合って話せない
 ・口をあけたままのことが多くて言いたいことも言えない
 ・次々来る患者で先生はいつもばたばたとしててきっかけがつかめない
 ・なんといっても治療に際して詳しい説明がない。など等・・
と常々不満に思っていたのですが、うん、メールなら言いたいことも言えるし詳しく相談できる。
とくに今回ばかりは、面と向かっては言いにくいことなのでEメールで訴えてみることにしました。

以下は、先生へ出したメールの内容です。
**さん いつもお世話になります。
歯周病末期の患者で、なおかつ心筋梗塞で死にぞこないの浅水と申します。
本日の治療の感想を聞いてください。
歯茎の検査ということで無造作に突っ込まれた針金が痛くて「いてててて!」っと悲鳴上げる。・・・・”無言”(担当衛生士 **若い女の子、)・・・これぐらい大げさにしておけば次は少しぐらい手加減してくれるであろうと期待して再度口をあけるとまたいきなり先ほどとは違う場所であるが深く突っ込まれた 「いたたたた!」・・・・また”無言”  「いてて」と言ってるのだから何とか言ったらどうだ。(と心で思ったが口には出せず)
私   「これしなあかんの?」
衛生士 「歯茎の検査しないと・・・」
私   「痛いのでもういらん」と言う (これは思い切ってはっきりと言った)
これでカチンときたのか衛生士、さっさと消毒して 「はい終わりです」
さて、清算のとき「歯石の掃除はいらないみたいですが、義歯の作り変えはどうされますか?」ときたもんだ。
私は、痛いのでやめてくれとは言ったが、歯石の掃除がいらんとは言ってないのだが・・・
おそらく、これは「当医院の方針に沿っていただけないものは、もう来てもらわなくてもいいですが・・」とっさにそのように受け取れた。(かなり、飛躍してますが)
検査が痛いのでやめてくれと言ったのだが、おそらく、この程度で痛がるならとても歯石の除去には耐えられないであろうと判断されたのか?二度と来るなといわれたのか?
それにしても、通い始めてもう何年にもなる。いまさらそんなこと言われても困る。

ということで、「いててて」と「痛いのでもういらん」と言ったこちらの思惑は
 1)この衛生士にはこれまで何度も泣かされた。おそらくこの先この人では耐えられないで あろうそれなら我慢するより早めに誰か他の人に変わってもらいたい・・・
 2)病気は、かかった本人が悪いとか、歯の手入れを怠けてるからこうなったのだから自業自得だとか、医師や衛生士からそう言われることが患者にとって一番屈辱的なことだ。 いくら腕の良い物を持っておられても、患者に対して少しでもそういった態度が現れ たなら失格であろう。
 3)これまで、ぼろぼろと勝手に歯が抜けてきた。抜けた歯を見るといかに汚いもので、 抜けて当然の歯だという事がわかる。歯の奥深くの掃除して抜けるのがとまるなら 我慢できるが、どう考えても抜けるのは時間の問題だ。それなら、あの我慢できない 痛みを耐えるよりもこのままにしておくほうがましだ。
以上のような思惑があったのです。
いつも思うのですが、どんなおおきな病院でも医院でも、患者の病気に対してどういった治療が一番いいのかといったカウンセリングがない。相談しようにもとても相談できる雰囲気ではない。今回、メールでもOKということでしたので一言申し上げたしだいです。
**さんのいつも新しいことに取り組まれる姿、すばらしいと思います。
”チクリ屋”と思われても立場が悪うございますので、ここだけの話にとどめていただきますようお願いいたします。
次回5月10日、何事もなかったがごとくお伺いしますが、本当に厄介な患者でしたらその旨お知らせいただければ退散いたします。
できれば、今度は内緒で別の方に・・・少しおばさんっぽい色の黒い人(怒られる・・)はぜんぜん痛くないです・・・希望。
このメール、他のスタッフの方みんなの目に入ったら大変だけど・・・まいいか
ここまで

先生から返事が来たのは、その2〜3日後でした。
  浅水さん、こんにちは。
  先日は気配りの無い応対で、御迷惑お掛けしました。
  次回の診療時は担当衛生士を変えさせて頂きます。
  以後このよう事がないように努力いたしますので、今後
  とも宜しくお願いします。         **

短い文章でしたが、おかげで安心して通えるようになりました
5〜6台あるパソコンいつも新しくなってるけど、たまには1台ぐらい注文ほしいもんだ。
買ってもらったら、うちのサポートはぜんぜん痛くしませんよ!!
2002/08/03 (土)
やってきた新品の冷蔵庫
去年の今頃は毎日エアコンのきいた涼しい部屋で何もすることがなくぶらぶらしてた。 自由に外出も出来ないし、ただ毎日1日が終わるのを待つだけの生活だった。
そのことを考えると、いくら連日の猛暑だといえビールは飲めるし仕事もできる。それだけで幸せだと思わなければ・・・

 先日我が家の冷蔵庫を新品に入れ替えました。
これまで使ってきたものは、例によってお客さんのお下がりで10年ぐらいになります。まだまだ十分働いていたのですが、
■この夏は子供たちが頻繁にドアを開ける。
■毎日山ほど氷を作らなければならない。
■ペットボトルに入れたお茶が冷凍室で何本も山積みされている。
■陸上部の中一、バレー部の中三、陸上部の高2どう見てもいまが一番食べ盛りか・・・お米はあっという間になくなっていく・・・変化してきたライフスタイルに対応していかなければならない。

というわけで所帯を持って17年目で始めて、さらピンの冷蔵庫のお世話になることにしたのです。
さて、肝心の大きさですが、我が家での食品の管理状況を見ていると、あまり詰め込むのは意図に反するかしていつもガラガラ、すぐ近くにマンダイスーパーも出来て買い物も便利になった。それで380Lぐらいの特価品で十分じゃあないかと言うことになった。形は上が冷蔵、真ん中野菜、した二段が冷凍のタイプです。
搬入は中三の息子と二人でやりましたが、いつもお客さんの所に搬入するときとは違って「これやっても一銭も儲からん」と思うと疲れも二倍あったようです。

ともあれ、めでたく収まりました。ところがそれ以降、予想もつかないトラブルに巻き込まれてしまうのです。
          ・・・つづく
2002/08/31 (土)
冷蔵庫つづき
さて、先日自家使用として下ろした冷蔵庫です。
この冷蔵庫ドアの正面に液晶の庫内温度表示がついている。 冷蔵室や冷凍庫の温度がいつでも確認できるのだ。
これは便利!
これまで、風呂上りのビールをいただく時、食事の準備の時間と重なっていて、頻繁に冷蔵庫の扉を開け閉めするものですから、せっかっく適度に冷えていたビールも2〜3度上昇、コップに注いだときの泡の出具合、のどを通るときの喉越しですぐさまわかります。 この2〜3度が非常に大事でして飲んだ時の"幸せ度"が違うんです。
ということで、庫内の温度表示がついているのは大いに期待させられました。

ところが、通常の冷蔵室の標準温度は3〜4度なのですが、設置して2日たってもその温度まで下がらないのです。
ドアを開け閉めすれば当然温度は上昇しますので、ためしに朝一番の温度表示を書きとめていくことにしました。
         7℃    7℃    6℃    5℃   7℃   7℃
なんと1週間たっても平均6℃で、どうしても適温の3〜4度までにならないのです。 単に表示が悪いのかなとも思いましたが、そうでもなさそうで、ビールの喉越しで明らかに2〜3℃高いのがわかります。
「う〜ん、こりゃあ不良品だ。相手が電気屋だと思って不良品をつかまされたな・・」
担当セールスに相談すると、すぐにでも交換しますとのこと

これまで当店22年の間に少なくても十数人の営業マンが出入りしたが、この担当セールスのO君、その中でも一・二位を争う優秀な人材だ。何でも良く知ってるし、約束もキッチリしてる。いろいろと便宜も図ってくれる。(これぐらいヨイショしとけばまた何かあったとき助けてくれるだろう・・・ヘヘヘ)
もっとも、販売店サイトに寄り過ぎるのも会社自体にとってはそんなに喜ばしいことではないらしい。
つまり、その販売店から利益をもたらしてくれてないと言うことになるらしい。 まあどうでもよいが・・・

話がそれたが、家族の者たちはそんなに気にならない様子で「こんなもんだ」と言うし、私だけが大騒ぎ・・・「こいつは返品する」と言うと、かーちゃんは「めんどうだ」と言い争いになるし、息子はブーブー言うしとんだ家庭内騒動になってしまった。

それでも10日後に同じ別の商品と交換したのです。・・・・が・・・半分は予想してたことですが、予想的中、最初のものとまったく変わらずで毎朝の温度表示は6℃〜7℃・・・こりゃあだめだ・・・ショック

ところが、しばらく様子見ていると時々2℃まで下がることがある。あながち冷却能力自体に問題があるのでもなさそう
何日かたつ内にだんだんわかってきた。どうやら前日の晩にお茶を2リットル沸かして常温まで冷やして入れてるのだが、常温といっても気温と同じ25℃近くはある。このお茶を入れた日とそうでない日で朝一の温度が違うことに気がついた。入れない日の次の朝は正常に3〜4℃まで下がっているのだ。

結局はそういうものなのか・・・いままで温度表示がなかったので気にならなかっただけのことであった。
いつもはお客さんからクレームばかり聞かされいやになることもあったが、いい教訓になった。
新しい機械はやはり癖をつかんで、なじみになることが一番肝心でした。
今回は、かなりお疲れのどうでも良い長文”物申す”でした。
最後まで読んでいただいた方 ”そんません”でした。・・・・(謝)
2003/03/08 (土)
永眠・・・
 3月3日午後9時47分お義母さんが永眠された。 享年71歳だった。
前日まで何ともなかったが夜9時ごろ家人が帰宅すると床にうつぶせにうずくまっており、すでに脈も呼吸も止まっていたらしい。
すぐに救急車で病院へ・・・数人の医師による懸命の「心肺蘇生」努力も実らず帰らぬ人となった・・・
 15年前に一度心筋梗塞で倒れておりそのときももうだめだと思われたが間一髪で一命を取り留めたという経緯がある。その後はそんな重病を患ったとは思えないぐらい元気だっただけに信じられない。
このたび誰にも面倒かけず文字通り一人で静かに旅立たれた
 ある意味では15年間も余分に生きさせていただいたとも取れなくはないし、そう思えば少しは気が休まる。

 葬儀は故人の人柄が偲ばれる盛大なものであった。故人も長年苦労を重ねてこられたが、それがゆえに他人には人一倍気を使われる方でやさしい心の持ち主でした。

腹のそこから湧き上がる嗚咽(おえつ)をどうにも止めることができなかった。
  あんなこと言ってたな、こんなことしてたな
  もう二度と聞けないな、二度と見れないな
 「最後のお別れでございます・・・」とお花を棺に供える場面がやってきた。
死に顔を覗き込んで生前を思い出したとたんにボロボロボローっと涙があふれてきた。
ムムムッ・・こりゃあいかん。我慢せねば・・・抑えようとすればするほど溢れ出して止まらない。しかも喉の奥に力を入れるものだから今度はうめき声に近い嗚咽(おえつ)がしぼりだされてきた・・・こうなるともう止まらない。一気にオイオイと泣き出したのだ。そこには泣いてる自分を見てさらに泣き出した別の自分がいたようにも思える。
悲しいから泣くのか・・・泣くから悲しいのか・・・

しばらくして気を取り戻し冷静になってみるもボロ泣きしてる男はオレしかいないではないか。オレ一人浮き上がってしまったか・・・。ほんの些細な事柄でも思い出すとどうしようもなく無念さがこみ上げてきてたまらなくなってしまうのだ。

 いかん、こう書いてるうちにまた涙腺がゆるんできた・・・
普段は愛想のない冷たい人間、良く言えば冷静沈着で通ってるこのオレも意外と涙もろい。
この分だと今度、自分のあふくろに何かあったときはいったいどうなることか?
想像もつかないぐらいおそろしく思えてくる・・・

 お義母さん天国のお義父さんとの34年ぶりかの再会を十分楽しんでください。
そして、これからは永遠に離れることなく二人で仲良く暮らして下さい
2004/04/20 (火)
角澤アナ現る!
このあとインタビューを受けることになった電気屋さん
「あのお向かいの豪邸は何坪ぐらいあるんでしょうか?」
「そうですねぇ うちは30坪ですがあそこは1200坪ありますよ」
詳細は後日!・・・乞うご期待!!
2004/05/30 (日)  
偉大な父
父が亡くなったのは私が中学2年生の春でした。
何でも働きすぎで脳の血管に異常を来たした(脳梗塞?脳内出血?)みたいで倒れてから1週間ぐらいであの世に逝ってしまった。まだ42歳、戦争を体験してその後高度成長の中で家も新築しコレからが人生の春という矢先でした。
もし、最近の医学でしたら十分助かる程度の病気だったと思います。

13歳の私はまだ親が亡くなるということがどんなことか当時としてはあまり理解できてなかったように思う。
ただ大変なことになった。悲しみに暮れる母を前にして何とか父の代わりをしなければ、強く生きなければと気持ちを引き締めていたことぐらいは記憶にある。

周りの大人たちや先生方はことさら気を使ってかまってくれた、「何かあったら相談せえ」「家の手伝い大変だったら学校休んでもいいぞ」なんて言われたりして「親父が死んだらなんで親切になるんだろう?」と思ったりもしました。
人前では、ちやほやされるもので悪い気はしなかったみたいで、悲劇のヒーローになった気分で浮かれていた自分もありましたが一人になると悲しさが襲ってくることもありました。

中学3年生の一年間は結構頑張りました。
クラスの級長でしたし軟式テニスのキャプテンとしてみんなを引っ張っていった。また、このごろ初めての切なく甘酸っぱい思いでも経験し多感な時期を精一杯謳歌してました。

たしかに、そのごろの同級生からは特別慰めみたいな言葉をかけられた記憶はありません。でも、なんとなくみんなのこれまでと違った雰囲気が自分を包み込んでくれてるようなそんなボワーっとした感覚だけははっきりと覚えております。
それは大人たちが言葉で慰めてくれるものよりは比べ物にならないぐらい自分を奮い立たせてくれたと思います。

いま自分が曲りなりにでも商売を旗揚げして独立してやってこれたのも父が早く亡くなり、父の力の大事な部分を私に分け与えてくれたからだと思っている。
2004/06/20 (日)  
普通の父
今日は父の日と言うことで夕食は極上の焼肉をご馳走になりました。お向かいが肉屋さんなので何かあるたびに特別なお肉を注文してるのです。

父の日なので普段より少し多めに心置きなくビールもいただいていい気分・・・
家族5人でワイワイやりながらいただきましたが、早々に19歳の長女、17歳の長男二人とも「これからバイトだから行ってくる」とお仕事に・・・9時から夜中まで3時間程度のバイトらしい。

おやじの働きが悪いのでこづかいが足らないのか?
自立し、巣立っていくための第一歩と見たほうがいいのか?

このところ不況のあおりでおやじも苦しい。
子供たちにごくろうさんと言ってやりたいちょっと寂しい父の日でした。
2005/02/26 (土)
幸せな笑い
うちは数年前から”読売新聞”をとっている。
それまで朝日と読売を交互にとったりしてた。というのも、朝日をとってるとその年に読売が来て、
「数ヶ月無料にして、さらに洗剤を1ケース付けるので、来年1年とってくれ」と言うので、「そりゃあ得
だとそちらにすると、次の年は今度は読売が同じ様な事を言ってくるので、またそちらに乗り換えた
りしてたわけだ。
ところが最近はそういった商法にたやすく乗せられてしまうのも同じ商売を営むものとして恥ずかしいような気がしてというより本音は面倒くさくなってこのところずっと読売にしている。
読売の「コボちゃん」と立松和平氏の「人生案内」が楽しみだと言う事もあるのだが・・・

実はここだけの話その新聞屋さんが集金の時に持ってきてくれる「ビンゴカード」がある。そのカードを保存しておいて、1週間か10日後に新聞折り込みのチラシに書いてある数字を合わせ、見事ビンゴになれば景品がもらえるというサービスだ。景品といってもたかがティッシュぐらいなものなのだが、1回目の折り込みだけではなかなかビンゴになりにくく、チャンスは2回目3回目とあるので何度も楽しませてくれる。新聞屋も色々工夫してるものだ。
さて、先日ビンゴの当たり番号の書いたチラシだけいつまでも処分されずに置いてある。
「ははぁ、まだチェックしてないので置いてるんかな」とカアチャンに尋ねるが、
ところが、もらったはずのビンゴカードなどどこにもないではない・・・

カードがないのに当たり番号のチラシだけ大事に置いておいても何にもならないではないか!?。
それが分かったとたんにお互い顔を見合わて笑った。お互いの心理が分かってか久しぶりに涙が出るほど笑った。
その笑いは、お金がピンチな家庭ならではの”幸せな?”笑いだったような・・・気がする。
2005/05/03 (火)
長谷寺 ボタン祭り
ゴールデンウィークたけなわ
先日、奈良の長谷寺に行ってきました。
大輪のボタンが満開でそれはもう見事な風情でした。

驚いたのは、車で行ったのですが入り口に近づくにつれて道路沿いにあちこちでおばちゃんたちが
手招きしていたことです。
国道沿いを走る車をまるで身を挺して止めてしまおうみたいな勢いで呼び込んでいるのです。
呼び込みしてるおばちゃんたちはほとんど自分のうちの庭先に簡易駐車場を作ってこづかい
稼ぎしているのである。

こちらとしましてもどこかに止める予定で走ってますが、軽く手招きに乗ってしまうのもしゃくだし、
母も「なんか怖いみたい」と言う。まるで、”ぽんびき”の引き込みと一緒だ。
家内はの言うことには「お父さん、おばちゃんだから誘いに乗らないけどアレが若い子だったら
スーッと入っていくに決まってるね・・・」
と言われたのもしゃくだが数少ない若い子の誘ってる駐車場に止めることにした

さて
小雨気味のなか参道をかなり歩いてやっと本堂までたどり着くと足が悪くめったと
歩かない母は疲れてきたのか「これ以上歩けないので、あんたらだけ先に行って
きて」と言う。
一人おいて先に行くのも心配だが、ベンチに座らせ携帯電話を持たせて、本堂の
階段を上って行くと、周りには一面にボタンの花が咲き誇っていた。

実は、ボタンの花を見に来たのは、先日、庭に植えてある一輪の大きなボタンに
感動したからであるが、こんなにいっぱい咲いているにもかかわらず一輪だけ
見たときよりも感動が少ないのはなぜだろう・・・?


帰りは参道に並ぶお土産屋さんに立ち寄りながらブラブラ帰る。
名物の三輪ソーメンを食べ、よもぎ餅も買った。
さすがに疲れたのか母は車の降り際に言ったのが「やれやれ、ありがとう。
新しくできた阪奈高速を走れたので良かった」と
母にとっては、ボタンより高速道路をドライブしたことの方が印象に残ったみたいだった

2005/06/05 (日)
最後の試合
今日は高校3年の長男のバレーボール最後の試合。

中学のときは何度か応援に行きましたが、高校になって
応援に行くのは初めてでした。今日の試合に勝てば次もあるのですが
負ければこれで高校最後ということでぜひとも見ておきたかったのです。
結果は1回戦突破後、2回戦で接戦の末惜しくも敗戦となりました。

とっくに親の身長はを追い越してますが、なんせ親が二人ともチビな
ものですから平均身長以上は伸びない。もっと身長があればエースでも
できたかも知れませんが、そこは本人の気概、セッターとしてよくやりました。

中学、高校とキャプテンを勤めさせていただき、先生方、同僚の生徒さんに心からお礼申し上げます。

これから先この経験は、彼にとって必ずや人生の糧となることと思います。

2005/10/16 (日)
結婚記念日
ついに我が家も「食器洗い乾燥機」をおろすことになった。
当店でも数台しか売れてないものをこの時期に買うなんて・・・ホント、よほどの理由が?

うちの奥方は食器の洗い方にはかなりのポリシーがあるみたいで結構入念に洗い、そのために時間もかかり水もよく使う。ガラスのコップなどはいつもピカピカで一点のくもりもないし、湯飲みなどに茶渋もまったくついてない。
いままで、大して気に留めてなかったが、このたび改めて気がついた。おかげで、ビールもお茶もおいしく飲めてたわけだ。

ところが、このところ奥方も何かと忙しくなってきて、時間と水の無駄をなんとかしないとやっていけなくなってきたのだ。そこで、その対策として「食器洗い乾燥機」の導入に至ったのである。

さて、当初は、型落ちの格安品でもいいかと考えていたが、どうせならと最新型をおろすことに決めた。
いつも新品を扱うのは手馴れているのだが、いざ自家使用で新品を下ろすのはドキドキする。特別に慎重になる。また、万が一気が変わって不要になってもいつでもつめ直せるように箱は大事にとっておくのが鉄則だ。

その日は10月16日、「今日は何の日か知ってる?」とカアチャン
偶然にも今日は結婚記念日に当たっていたのだ。
「そうか、キャンドルでも灯して盛大にやるか」とテレ隠しに言うと、横で聞いてた息子が「そうなん?」と関心を示して喜んだ風だったのが印象に残った。

これからもピカピカのグラスで呑ましてもらえるかなぁ?
ホントのところは食器より中身が大事なんだけどネ
2006/03/20 (月) 
甲乙つけがたい二つの出来事
このところ歳と共に、夜はすぐ眠くなるし朝は早く目が覚める。
毎度の事、朝6:00頃起きると、大学生の長女はすでにお出かけ・・・オレの知らぬところで何かと
忙しいみたいだ。
また、今日は、長男も高校の卒業式があるらしい。朝早くから慌しいものだ。
カアチャンもそわそわと小奇麗な格好に身を包んでる。
「うん?高校の卒業式にも出席せなあかんのか?」
なんと、今日もまた店番が誰も居らん。電気屋家業も気楽なもんだ。

夕方、長男が持って帰ってきた。卒業アルバムをペラペラとめくってみる。
自分の青春時代とダブって懐かしさが込み上げてきた。みんな若い!!青春がはじけてる!!
その中で、息子のみんなの中に囲まれてポーズをとっている写真を見つけ、カアチャン
「息子のこんな明るい表情、家では見たことがないね〜」
それもそうだ、家の中では終始ムッとしている息子が、アルバムの中ではどの写真も生き生きとした
表情してるではないか?

ふと自分自身に照らしてみると、その頃は親に対しわざとシラけツッパッテいた自分が思い起こされる。
そうか・・・、みんなそうした時代があったのだ。そうした青春を経験して初めて成長してきたのだ
この年になってやっとわかったような・・・心の中で「卒業おめでとう」とつぶやいた。
その日の晩ご飯は、ちょっぴり豪華に見えた。

そうしてるうちに、長女が帰ってきた。知らなかったが、今日は大学のクラブの仲間とバスツアーで
鳥取までカニを食べに行ったらしい。おもむろにバックから取り出したのは、「半生のイカ」とヒラメの一夜干し。
しきりに残念がっていたが、その理由は、せっかく土産センターでヒラメを買ったのに、いざバス
に乗り込むとバスの中でお土産センターからのお礼にとヒラメがプレゼントされたそうな。
せっかく選んで買ったのに同じ物が配られるとは・・・。めったと土産話などしない長女が一気に話してくれて、楽しかった情景が目に浮かぶ。

「お父さんへの”酒のサカナ”を土産に・・・」と言いかけて、「そうか?お父さん、
歯がないのでイカは失敗だったかも・・・」と言ったとたん、まわりは爆笑の渦が巻き
起こった。
娘が酒の肴を買ってきてくれるなんて・・・!!
今日は、甲乙つけがたい息子と娘の出来事が同時にあってで、忙しい一日であった。
2006/08/06 (日)
快気祝い
足のすねに10円玉ぐらいの”ハレモノ”ができた母。なんでもほっておいて悪性になると厄介
なので、早いうちに切り取っておくのだそうだ。
それでも約1ヶ月の長期入院になったが数日前に無事退院した。それでなくても足が弱ってきて
ポルカーに乗っているのに、ますます歩けなくなってきた。これで趣味の畑作りもまた遠のいてしまって残念だろう。

お見舞いに来ていただいた4〜5人に快気祝いをしたいがまだまともに歩けないので買い物にも行けない。
母の場合相手の事をあれこれ考えて、結局何にしていいか分からなくなってしまうタイプだ。
そこで、以前に自分が貰ってビックリしたと言う、”カタログギフト”にする事に決定した。
「あれだと、本人のほしい物が選べる。こっちが気を使わなくていいし、よく考えたものだ・・・」と母
さっそく、母のところへノートパソコンを持って行き、インターネットで検索する事にした。
これだと動けなくても買い物ができる。

2000円コース、3000円コース あれこれ見てると横で、へえ〜 ふ〜んと言っていたが、いざ注文のコーナーから必要な項目、住所、名前、TeL、パスワード、メールアドレス・・・記入してると、
「なんとむつかしいのお〜」「こんなん贈って受け取った人年寄りばっかりなので、よう注文できるか心配じゃ」と言うので、”自分も年寄りじゃん”と言いたかったが、
「これはここだけでイインヨ。貰った人は、こんなことせんでいいよ」と説明。
「ここに注文確定のボタンがある。ここをクリックするとそれで完了。
4〜5日して品物がここへ届くんよ」
「へえ〜」と感心する母。
「どんな物が届くか楽しみじゃの〜」と言うので
「届くのはカタログだけで、しかものしつけて包装してあるので、中身は見れん」
「え〜!?中身見れんかったら、相手がどんな物が買えるか分からんし贈ったほうも 心配や」「自分とこも欲しいので、もう1個注文できんかのお」
自分とこにも快気祝いかいな??
てな事で、もう1個追加注文となった。

そりゃそうだ。贈る側も、何を贈ったか知りたいもんね。

贈った相手はほとんどお年寄り。あくる日さっそく電話がかかってきたそうな
「注文のやり方はわかったけどこの本どこえ返したらいいん?」とな・・・

2006/09/12 (火)
うんこ
とある日曜日帰ってみると
「トイレの水が流れん!!こりゃ私では手に負えん・・・」とカアチャン
どうやら散々苦労した跡が伺える。
今まで何度か流れが悪くあふれそうになったことがあるがここまでガンコなのは初めてだ。
おわんをさかさまにしてその先に棒をつけたような道具で何度も何度も押してみるも一向に流れない。
何度か押して繰り返し水を流してみる。当然奥にはうんこもあるわけでして、うんこも
逆流して次々と浮かび上がってくるわけだ。
鼻をつまみながらの作業になった。
そのうんこ混じりの水を勺ですくい、バケツにとってはまた流してみる。何度も何度もその繰り返し・・・
繰り返してる間に慢性化してきたのかうんこに慣れてきて臭みも薄らいできたのが不思議だ。

「こりゃあどうにもならん」意を決して便器ごと外してみることにした
何を隠そう、うちのトイレはもともと和式であったのを10数年前に解体して洋式にやり変えたのは自分なのだ。
外したのはいいがかなり重い。しかもうんこが出口で詰まってるものだからしずくがたれて外に出そうにも大変だ。嫌がる息子に片方持たせて一気に外に出すことにした。

見事に詰まっている。どうやら少なくなりかけたトイレットペーパーをそのまま流し込んで詰まったのだろう。
犯人はいつものやつだ。未成年なので実名は明かせないが、いつものやつの”こだわり”は”何でも少なくなりかけたら使い切る前に新しいのを降ろす”のである。
石鹸、シャンプー、歯磨き、しょうゆ、よく気が付くといえば聞こえはいいのだが・・・

今回の我が家のハプニング、解決には相当時間もかかったが、これが専門の業者”ク○シアン”など
呼ぼうものならおそらく2〜3万円は取られたのではないだろうか?
一度お客さんで、パッキンの交換を頼んだら、やれあれが悪いこれが悪いと交換させられ結局5万円
ぐらいとられたそうな。

汗とうんこにまみれながらの作業だったが、これで2万円稼いだと思えば納得のいく仕事であった
2006/10/9 (日) 
クリ拾い
もう10月半ばと言うのに、今年の秋はいつまでも暑い日が続いている。
実りの秋でもあるし、家の中でくすぶってるわけにもいかないので、
いい自然を求めて出かけることにした。さて、行き先はインターネットで・・・、
車で1時間以内で・・・、適当に遊べて・・・、美味いものも食べて・・・、
手軽なところで「南楽園」と名のつく体験型農園に決めた。
だいたいみかん狩りがメインだが、みかんはまだ青く「クリ拾い」をやってる。
クリ拾いなんて子供のごろ裏山でやったがそれ以来やったことがない。

実は、クリに関しては幼少に頃からほのかに懐かしい思い出がある。
田舎育ちの自分の家は田んぼに囲まれ、すぐ後ろにはクリの木もいっぱいあったものだ。
秋になると山にクリを取りに行った。木にぶらさがってるイガグリを下から木切れで
叩き落すのだが、これが結構難しい。イガグリも落とされまいとしっかりくっついている。
うまく落としたと思えば、思いっきり顔の上に落ちてきたりして、悲鳴を上げたりした。

下に落としてもイガを剥いて中身を取り出すのも又一苦労する。
道具など持っていないし、両足の靴の底で踏みつけながら剥いたものだ。
中身をやっと取り出してもほとんどが虫食いで、虫に食われた部分は茶色に変色していて、
すでに腐りかけているのだ。そこの部分を除けながら、生のクリをバリバリ食った記憶がある。
そうそうシブ皮を剥くのも大変だった・・・。

そんな思い出を心に浮かべてると何となくわくわくしてきた。
到着すると入園の入り口にはまだ小さい子供さんを連れた方や若いアベックなどが多くチョット気恥ずかしかったが入場券800円とクリ拾い券500円を買い名前も書いた。
クリ拾いは時間制みたいで予定の時間まで1時間ばかりあった。、みかん畑をブラブラしていると、園内放送より呼び出しがかかる。

「クリ拾い参加の○○さん○○さん、集合時間が来ましたので大至急集まって下さい」
「急いで下さい!! 走って下さい!!」なんと直接名前で呼びだしがかかった。
なんのこっちゃ? 走って行くと、すでに50人ばかり門の前に集まっているではないか?
案内のおっちゃんが大きな声で説明している。

「みなさん、ここから先がクリ林です。慌てないよう下から順に拾って下さい」
「約20mぐらいの斜面を登り切るとおしまいです・・・5分もあれば終わります」
と、一人一人にA4サイズのビニール袋を持たされた。
「たくさんの人もあれば少ない人もあり、決して恨まないように・・・」

???こちらとしては、のんびりクリ拾いに来たのに、まるで運動会のパン食い競争が
始まるみたいではないか?事情がよく分からないままゲートが開いた。
「みなさん、斜面に向かって横一列に並んで下さい。ヨーイドンで始めます・・・」
「けがをしないように・・・」
見ると、幅約50m斜面一面には落ち葉も草もなく、普通の地面に裸のクリがばら撒かれてるのだ。
クリの木は数本あるがクリのイガなどは全くない。

ここでやっと「5分もあれば・・・」という意味が分かった。
「ヨーイドン!」
みんなわき目もふらずクリを拾う。余計な歓声などはなく、もくもくと拾っているのだ。
ほんの20mほどの傾斜を登り切り、袋の中は3分の1程度のクリが拾えた・・・。
袋にいっぱい拾ってる若者もいた。
戦い終わって、ふとタクを見ると、うん、タクの袋にも20個ぐらいは入っている。よくやった!

これがクリ拾いか・・・。他の人たちはこれを知ってて参加したのだろうかなぁ?
それともみんな「なんじゃこりゃあ?」と思ったのか?
当初わくわくしていた気持ちがいっぺんにしぼんだ。
そう言えば「クリ狩り」とは言わないし、どうみても「クリ拾い」だったなぁ
ちょっとばかり息を切らしながら、カアチャンを見るとカアチャンも息を切らしてた。
2006/12/15 (金)
9月14日大阪城ホール、コンサートなんて何年ぶりのことでしょう。
といってもこれまで数回しか記憶にありませんが、今回「ギターの神様」エリック・クラプトンの
コンサートに行ってきました。
チケットは2ヶ月前に2枚購入し、大学生の息子か娘でもお付き合いしてもらおうか?
はたまた、結婚前を思い出してカアチャンとアベックで・・・なんて思っていたのですが
結局誰も予定つかず、学生時分の友人と行くことになりました。

クラプトンを知ったのは、1973年、19歳ぐらいのころです。
その当時ちょうど黒人のブルースに興味を持ち始めたごろです。
クリーム時代以前の「ブルースブレイカーズ」に所属していたときのギタープレイに引き込まれたのが最初です。

それから現在、還暦にしてあのパワーはすごいです。2時間の公演をほとんど休憩無しに
こなしてました。
クラプトンのこれでもかと押しまくるチョーキングと途切れなく流れるようなフレーズには
思わずため息が出るほどでした。

大阪城ホール満員、どこからこんなに人が集まってきたのかと田舎モンには圧倒されるばかり・・・。ただ、左45度の2階席中ほどからの観戦でステージは豆粒ほどにしか見えませんでしたが、巨大なホールに響き渡る音響は、鼓膜を突き破り脳天の血管が張り裂けんばかりでした。
特に高音域を連打する場面ではどうしても我慢できなくて思わず
耳の穴を指でふさいでました。中年の耳にはどうもこたえるみたいです。
ふさいでる方がちょうどいい具合に聞こえてたのでずっとふさいでたのですが
まわりの人が見たらチョット失礼に見えたかも知れないですね。

2人のギタリストのうち1人はスライドが良かったです。
泣きスライドが入るとブルージーな雰囲気がぐっと増しますね。
もう一人の方は左利きでしたがなんと右利き用のギターをそのまま反対に持ち替えて弾いていたみたいで驚きました。つまり1弦目が低音で6弦目が高音なのです。単弦は弾けたとしてもコードなんかはどうやって押さえるんでしょうね。

クラプトンはほとんどしゃべりませんでした。「こんばんわ!「サンキュウ!」
「どうもありがとう!」ぐらいです。
観客はみんなノリノリ、アリーナ席は総立ち、終盤に近づき「レイラ!」が始まると最高潮に達し会場は興奮のるつぼ。
アンコールは約5分ぐらいたってでしょうか「♪アイ・ウォズ・ダウン・トゥ・ザ・クロスロード♪」で圧巻でした。
アンコールは1曲のみで、クラプトンはさっさと引き上げていきちょっとがっかりでしたが、さすがにみんな分別のある年代の集まりですね。
会場に明かりが点くとみんな満足げな顔々々でした。
2006/12/31 (日)
テレビでしあわせ
我が家にも・・・!
電気屋もやっと買えるようになってきました!
先日やってきた液晶テレビ。
先日の日曜日の夜8時、玄関からやってきたのは佐川急便のお兄ちゃん。

何を隠そうテレビのオーナーはカアチャンなのだ。
今年の紅白歌合戦は、K1との2画面で鑑賞できました。

あ〜恥ずかし、今年も終わりです。
2007/5/13(日)
トムヤムクン
 5月のゴールデンウィーク、世の中は行楽で浮かれているのに、”仕事を探して歩く仕事”もつらいものだ。後半の2日ぐらい休んでもバチはあたるまい。
めったと都会へは出かけないので、「どうや、珍しいものでも食べに行くか」「タイ料理でもどうや?」
と言うと 「どこへ行くん?また、昔ホームページで予約して行った鳴門の渦潮でも?」

 そういえばあったあった。もう7〜8年前の話だ。
 渦潮を見るための遊覧船の予約というのがあって、もしせっかく行っても乗れなかったらとホームページから予約して行ったのだ。
ところが、切符売り場の窓口はガラガラ、地元のおじちゃんおばちゃんが日銭稼ぎでやってるらしく
「あの〜インターネットで予約の・・・」と言うと「・・・・?」何のことかさっぱりわからん様子。
 おそらく、当時ボコボコと乱立したネット業者が、これからの時代はインターネットでと勧められて無理やりつくらされたホームページだったのだろう。おばちゃんたちも何のことかわからんままのせられたのだろう。
こちらも、それをまともに受け取って予約したので後で大笑いした経緯があるのだ。

それはさておき、
 俺としてはエスニックのタイ料理を想定してるのに、なんで「鳴門の渦潮」の話なんか出るのかといぶかしがってると、カアチャンがいきなり「そっちのタイかいな〜?」
どうやら、そのときに食べたのが、”鯛茶漬け”だったか?それを思い出して「鳴門の渦潮」が思い出されたのだ。
お互いに違う「タイ料理」を思い浮かべて話してたわけでそれが分かったとたんまたまた大笑いとなった。俺なんか笑いすぎて座ってられなくなり床に転げこんで笑った

 昼過ぎに出発、夕方まではまだ時間もあり、久々に鶴見緑地の花博あとを散策する。
家族連れ、アベックでにぎわってる。あちこちでミニライブもやってる。このごろはロックをやる若者は少なくなったか、結構年配のかたの演歌が多い。
ぶらぶら歩き、さいごは色とりどりのバラ園を観賞させていただいた。

 そうこうするうちにおなかもすいてきて、念願の「タイ料理を目指してナンバを降りてえびす橋筋を道頓堀まで歩く。すごい人だ。良くこんなに人がいるものだ。
YAHOOで検索した地図を片手に人ごみの中を掻き分け、やっと入り口付近にたどり着く。新しくできた ○○座の近くで一番にぎやかなところだが、入り口はひっそりとしていてなにやら怪しげ、しかも地下に降りていくようになっていて入りにくい。
チョットためらったが意を決して一気に階段を下りる。
薄暗いし、テーブルは10ぐらいあるが客は1組だけ。
タイ風の服を着た店員が「予約はありますか?」・・・むむむ予約が要るのか?
「何人ですか?」
「3人だ」
「少々お待ち下さい」  なにやら薄気味悪いが地下なのですぐ逃げるわけにも行かない。
「こちらへどうぞ」とテーブルに案内された。
座ってメニューを渡されると幾分気分も落ち着いた。
ここは正直に「あの〜タイ料理は初めてなんですが教えていただけますか?」
すると、急に穏やかな表情になり、丁寧に教えてくれだした。
「赤星は少々辛いですヨ」

チョット恥ずかしかったが、テレビでよく聞いてた念願の世界3大スープのひとつ
「トムヤムクン」を注文した。
それと、タイ風焼き飯、タイ風うどん、タイ風春巻き、
アサリの酒蒸し。トムヤムクンの酸っぱさ、あとでグーッとくるパンチには予想通りのうまさでやみつきになりそうであった。
これで”木梨や石橋”の話題にもついていける。
そうこうするうちに客がどんどん入ってきて満席になった。
2010/03/07
かもねぎのIHヒーター
「まいど〜」
いつもながらの顧客訪問
「あのねぇ この前つけたのはずしてくれる?」
なんか申し訳なさそうな表情
この前つけたの???
この前つけたというと照明器具かなにか?
「え〜っと何だっけ?」
「あさってガス屋さんが工事に来るんよ。それまでに外しておいて」と
なんと、2ヶ月前に取り付けたばかりの30万円のIHヒーターのことだ。

かねてから火事の心配がないからどうしてもほしいと言われてて
やっと買っていただいたばかりの品物
「え〜どうしてですか?」
「どうもなじめないし、やっぱりガスのほうが慣れてるし・・・」
「でも、勘違いせんといてね。外してもらうだけでいいので、一銭も返していらないよ
誰かほしい人があったら使ってもらったらいいし・・・」

一銭もいらないといわれても30万以上もする品物、ハイそうですかと
貰ってかえるわけにもいかない。
見たところまったく汚れてないし、魚焼きの部分など1回も使ってないらしい。
「よかったら、今見ておられるテレビ、下取りして大きなタイプと交換しましょうか?」
などと提案してみたが、そんな必要ないと、結局タダで引き取ることになった。

またまた天からの贈り物か?
この品物、売る気になればいくらでも買い手はあるし、売り上げ低迷の中大助かりだが
・・・と思ったが、実はこのIHヒーターもう数年前からうちのカアチャンのほしいもの
ランク1位にあがってて、いつかは奉仕しなあかんかもと覚悟していた品物。

子供たちも大きくなり手がかからなくなってきた分、心なしか料理に手が込んできて
最近今までになかった凝ったメニューも出てくるようになった。
週1回のヘルパーの仕事のせいかもしれないが研究努力のあとが伺える。
店に数日おいてあったが悩んだあげく思い切って自家使用することとした。


ビルトインタイプなので専用の枠が必要だし、5cm高くなるので台をカット
して低くしなければならない。さらに電気工事も・・・
あれやこれや出1日がかりの大工事だったがいい仕事ができた。

なんといっても、台所周りの油掃除は俺の仕事だったのでこれで大幅に
掃除回数が軽減されるのがうれしいし、
しばらくは気兼ねなく酒が呑めるような・・・